小説『大吾、走る。』  (4)

2008年02月10日 16:55

 そもそものきっかけは、大吾の幼なじみで『ビッグゴールデンボーイズ』のメンバーでもある玉川金次郎が、次回の草野球の対戦相手を伝えるために大吾の家に立ち寄ったときの一言だった。
「大吾、その腹最近メタボってねえ? マジで」
 大吾の部屋に上がった金次郎は、いきなり大吾の緩んだ腹をじろじろと見て、そう無遠慮に言った。金次郎の口が悪いのは昔からだが、全身にがっしりとついた筋肉は大吾と共通するものの、身長は一六三センチそこそこの彼にそう言われると、さすがに大吾も腹が立った。
「っ……何をぬかしやがる、このタマキン野郎! 貴様こそその空気の読めん性格と足りねえ身長なんとかせんかっ」
 とは言い返したものの、長年の暴飲暴食が脂肪となって蓄積した腹が密かに気になっていたのは図星だった。そんな折大吾は、新聞の折り込みチラシで、家から三駅先の繁華街に駅ビルのスポーツクラブがあることを知った。その駅の東口近くには、小料理店・風俗店が立ち並ぶ路地裏に、大吾いきつけで、なおかつ昔からの酒の得意先でもある小さな焼き鳥屋があり、地の利もある。
 六月限定の入会金無料キャンペーンの期限ぎりぎりとなる翌週月曜日の夜、得意先への酒の配達を終えた大吾は、軽い気持ちでクラブに出向き入会手続きをした。正直なところそこに通う筋肉質の男たちの裸を見たいという下心もなかったわけではない。
 さっそくトレーニングウェアに着替え、インストラクターの青年の案内でジムに入った大吾の視線は、ずらりと並ぶ最新機種のトレーニングマシンではなく、それを使っている男たちにまず真っ先に向けられた。駅ビルという場所柄か、客層は若い女たちを除けば、会社帰りのビジネスマン風の青年や壮年が大半だ。汗でシャツが体に貼りつき、黙々とトレーニングに勤しむ彼らからはストイックな男の色気が醸し出されている。ここはハッテン場ではないのでさすがに「手を出す」ことはできないにしても、これから彼らの裸がシャワールームや風呂場で見放題となるわけだ。大吾は心の中でほくそ笑みながら、まずは脚力強化用マシンでトレーニングを開始した。
 ところが、大吾が力加減も考えずガンガン足踏みをしていたところ、突然ガタンという音がして、
「ぬおぉぉぉっ!」
 マシンが動作しなくなってしまった。大吾の全身にどっと冷や汗が流れる。インストラクターに連絡すべきか、何事もなかったかのようにこの場を立ち去るか。
「う、ぐぐぅ……」
 いずれかの決断を迫られた大吾の顔はこわばり、その巨体にさらなる汗が伝った。沈黙したままのマシンの上で数分間固まり続ける大吾。そこへ、
「どうかなさったんですか」
 大吾の背後から、心配げな男の声が掛けられた。ぎくりとして振り返った大吾の目の前に、地味な茶色のトレーニングウェアを着た男がいた。スジ筋というほどではないが、すらりとした体型の彼も、片手に自分のトレーニングメニューを抱えているから、このクラブの会員なのだろう。大吾のそれと似た中年向けにも見えるウェアだが、その整った童顔からして、男は自分と同年代かやや年下というところか。
 彼を見た瞬間、大吾は驚きとともにこう思った。
(なんちゅう優しい瞳をした男だ……)
 彼の澄んだ二つの瞳をまっすぐに向けられて、大吾は自分の顔が熱くなっていくのを感じていた。
 安岡大吾、三十一歳にして生まれて初めての恋であり、かつ一目惚れであった。

 (つづく)


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