小説『大吾、走る。』  (2)

2008年02月08日 10:42

 勇一はパーカーのポケットからキーを取り出し、色がさめた木製のドアに鍵をかけた。その時、彼の肩口に、どこからか飛んできた赤トンボがついと止まった。
「それじゃあ、行きましょうか」
 振り返った勇一は、穏やかな笑みを大吾に向けた。勇一の肩でほんの一瞬休息を得たトンボは、また軽やかに空に舞い立った。たぶん、勇一はそれに気づいていないだろう。
「お……おう」
 澄み切った九月の青空へと去ったトンボの行方をぼんやりと眺めていた大吾は、一拍遅れて野太い声で返事をした。大吾の返答が遅れたのは、トンボに気を取られていたからだけではない。その時大吾は、まだ生々しく体に残っている「昨晩の出来事」を思い返していた。
 大吾と勇一がアパートを出発してから約二十分。彼らは駅へと続く、開店前のひっそりとしたショッピングモールを歩いていた。大吾は初めて歩くこの界隈が物珍しく、太い首を左右にねじりながら辺りを見回していたが、ふと、勇一とずっと無言のままであることに気まずさを感じた。
「う……む」
 大吾は頭の中をフル回転させたあげく、
「田上ちゃん、よかったらまた、草野球の試合に来てくれねえか」
 結局当たり障りのない話題を口に出した。
「い、いや、もう野球は……」
「選手でなく、応援でさ」
 まだ人気のない通路を歩きながら、大吾と勇一はそんな会話を交わす。
 そんな彼らの微妙な距離感から、勇一と大吾がある程度親しいことは窺えるものの、彼らの言動にはどこかぎこちなさが残る。
 彼らには、相手にまだ話していない二つの秘密があった。
 まず、大吾と勇一、彼らが実は二人とも同性愛者であること。ただし、そのことを互いにカミングアウトしておらず、よって彼らはまだカップルではなく、ましてセックスフレンドでもない。
 そして、もう一つ。
 カップルでもセフレでもないにもかかわらず、昨晩、彼らは体を重ね合った。互いの了承は得ていないままに。

 (つづく)


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