あとがき

2019年06月23日 23:42

こんばんは、飛田流です。
もう、『昭和・平成・令和 極め湯三代目物語(完結篇)』は読んでいただけましたか?



(PC画面に耳を近づける)



はい、続けますね。




今回のお話は、これまでに販売したものとはいくつか違った点がある。

・元々はエイプリルフール企画である
・タイムリミット(新元号発表直前)ギリギリまで書く
・推敲をしないままウェブにアップ


というわけで、当初は、最後まで書き上げるつもりはなかった。
九年前に書いた『DOKIドキ☆胸キュン・すっとこどすこい』みたいなノリで。


と こ ろ が


なぜだか、pixivで、「続き待ってます」といった感想をいただいた。
今考えれば、冗談だったのかもしれない。

だが、(書く時間がなかったこともあるが)前半があまりにも中途半端に終わっていることもあり、もう少しだけ書いてもいいのでは、と思うようになった。
最初は新元号発表の日だったので、今度は平成最後の日に。


続きを書き始めたのはいいものの、設定を全く考えていなかったために、ひたすら手間取る。
特に、安岡大吾が途中から出てくるとは考えもしていなかった。

早く終わりたいのに話はどんどん進んでいき、四月三十日にも話を終えられないまま「後篇」をアップ。
途中なのに「後篇」とあるのは、ここで終わらせるか、書くのをやめるつもりだったから。

だが、作者(僕)自身にも迷いがあり、

以下、令和投稿予定の完結篇に続く??

と記してみたりする。



しかし、売●専売れ線の話でもないし、読者は別に続きなど待っていないのではないか。

というわけで、アンケートを実施。

結果「読みたい」が4票。
ゼロというわけでもないが、正直多いというわけでもない。

いずれにせよ、この結果を受けて、最後まで書くことを決意。

さらに一か月半以上の時間を費やす。



そして、昨日なんとか書き上げて、ブログとpixivにアップしたわけだが


いつものように
これといった反応は
ない。


だが、出来不出来は別として、とにかく最後まで書き上げられてよかったとは思っている。

推敲前の文章をご覧になっておわかりのように、最初の時点では、とても「小説」とは呼べない文章しか書けない。
今回も、本来なら最低限、推敲を施すべきところを、恥を忍んでそのまま出してみた。

自分の現在の実力ときちんと向き合ってみたい、という気持ち
主に書きたいのは、こんな感じの話です、というプチ自己紹介


を兼ねて、いつものようにのたうち回りながら(でも、睡眠時間とおやつの時間はしっかり確保しつつ)書いた。


ツイッターで

RTとか
いいねとかなくても
最後まで戦うんだからねっ!


とつぶやいたのは、別にギャグではなく、ただの本心。

誰とも仲良くしてもらえないできないので、僕にとって、書くことはライバル(自分以外全員)との戦いなのだ。
しかし、元々の文章力がない上に、エロティズムの過激さで競っているわけでもないので、本当に分が悪い。

それでも、今後もひっそりと書き続ける予定。
こんな感じの話を求めている人が、世の中に数人はいるだろうと信じて。
今回の話は、とてもシャイな「あなた」の心に届いただろうか。



小説を書き始めて、結構な年月が経っているが、辛酸舐めて舐めて舐めまくり人生。
なんなら舐めたくて舐めたくてうずうずしている。

↑言いたかっただけ。

以上です。


そうそう
読んでいただいた方、
本当にありがとうございましたー!!




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    他言無用!(中篇)

昭和・平成・令和 極め湯三代目物語(完結篇)

2019年06月23日 12:07

 前篇はこちら

 後篇はこちら




金の事以外だったら、何でも相談に乗ってやるからな」
 と、極の頭から離した手を握りこぶしにすると、グッと腕に力を込めて、太い力こぶを誇らしげに極に見せる。
「そんなら、薪が手に入るところ、どこでもいいんで教えてほしいんすけど。ほんと、マジでウチの死活問題なんで」
「よしよし任せておけ。俺の知り合いや配達先の客に片っ端から訊いといてやる」
 玉のような汗を、上気した四角い顔にびっしりと浮かべた安岡は、力強くうなずいた。
 不思議なもので強面の笑顔は、いつも穏やかな人のそれよりも、何倍もの真実味がある。閻魔えんま大王の隣で立っていてもおかしくないほどの顔にも関わらず、なぜこのひとはここまで優しくしてくれるのだろうか。
「あと、おやっさんのことだが……」
 安岡はさらに何か言おうとして、大きな口を開きかけたが、完全に開く前に、眉間にうっすらとしわを寄せたまま閉じられた。
 続きが気にはなったが、それ以上深く聞くのもためらわれ、ボコボコと浮き上がる無数の水泡を極がぼんやりと眺めていると、ざぶり、と音がして、
「っ、と」
 湯船に波が立ち、大きく揺れた極の視線が、小兵力士に匹敵するほどの安岡の巨大な尻と、硬い筋肉がみっしりと詰まった太腿に向けられる。
「……っ!!」
 また出てしまいそうな驚嘆の声を、極はあわてて飲み込んだ。
「じゃ、はじめっか」
 と、安岡が人懐こい表情で振り返った。
「……は?」


 ここぉーでぇー 尽くーすーぞ
 我がーベーストーぉぉぉ
 とくらぁ


 鼻歌を歌いながら、真っ裸のまま安岡は、風呂場の鏡を、出入り口側の手前から一枚一枚磨き上げていく。
 安岡が鏡を磨くスピードは驚くほど早く、洗剤入りのバケツに浸したスポンジを鏡の上で素早く滑らせていく。筋骨隆々とした堂々たる体躯に、全身に濃い体毛を生やした安岡が、キャッチャーの構えのように中腰で肉厚の尻をこちらに突き出した格好でもそもそと動いている姿は、まさに本物の熊のようだ。(詳細な描写は、本作が全年齢向けであるため、控えるが)
 浴槽の近くに座る極が、椅子から尻を少し浮かして、バスケット越しにちらちらと様子を伺うと――。
(お、俺より早いんじゃね?)
 客である安岡に掃除などさせるわけにはいかず、極はもちろん本人からの申し出を強く断ったが、簡単に首を縦に振る安岡ではない。
『いいからキワメは体を洗っておれっ。――俺が今日来たのは、平成のうちにおやっさんに詫びを入れたい、ということもあってな』
 少々真面目な声色で頼み込んできた安岡に、極は黙り込む。
『今日ぐらい、俺に昔の罪滅ぼしをさせてくれんか』
『ダイゴさん……』
『まあ、とても一日やそこらの掃除で済むとは思えんがな』
 照れ臭そうな顔でにかっと笑った。
(……ま、いいか)
 安岡の気持ちを無にすることはできないだろう。安岡の気が済んだところで、礼を言って、あとで鏡は磨き直せばいい。
 と、シャンプーを頭にすり込んで泡立てた極は、シャワーで流し、目の前に下りた髪をかき上げてから、もう一度安岡を見ると、
「……えっ!?」
 出入り口近くの鏡を磨いていたはずの安岡の姿がない。そのまま視線を右にスライドさせると、安岡はすでに中ほどの鏡を磨いていた。いや、鏡だけではなく、シャワーヘッドと蛇口まで同時に磨き上げているようだ。しかも、予想していたよりも動きが異常に早く、まるで早送りの映像を見ているようだ。
 目の前で起きていることが信じられず、「なんかこのおっさん怖ぇ……」と、不適切極まりない言葉が口を突いて出る。
「まあ、早けりゃいいってもんじゃないし……」
 と、負け惜しみのようにつぶやき、ボディソープを含ませたスポンジで体を洗い始めた。
 泡立てたスポンジを胸の上で滑らせながら、極は小声でつぶやく。
「もう少し話、したかったんだけどな……」
 自営業の先輩である他に、極と共通点・・・の多い安岡に、二人しかいないこの空間で、ぜひとも訊きたいことがあった。
 それは――
 極め湯の客の中に、極が好意を寄せている若い女がいる。だが、彼女とはまだ個人的な話もしていないし、ましてや結婚がどうのこうのと言える状況でもない。
 しかし、極が安岡に訊きたいのは、いわゆる恋愛相談ではない。
 安岡は、大学時代応援団に所属し、昔から硬派だったという。四十歳を過ぎたであろう今でも浮いた話一つも聞いたことがない彼に、愛だ恋だと訊くのは、失礼を通り越して、命知らずとすら言える行為だ。
 極が二十代後半辺りから、周囲や客から掛けられ始めた、「誰かいい人はいるのかい」という、あの定番の質問への切り返しも、安岡ならおそらく経験豊富なはずだ。安岡に相談したい個人的な悩みは、その一点のみ・・である。
 全身を泡立てた極は、身をかがめてシャワーの蛇口に手を伸ばす。
「ま、さすがにあの顔じゃあなぁ」
「『あの顔』が、どうした」
 数瞬ののち、極がゆっくりと顔を上げると、鏡の上から、「暴」で始まり「団」で終わる組織に所属する者レベルの迫力をまとった「その顔」が覗き込んでいた。
「……ひ、ぃっ」
 極が全身を凍り付かせている間に、安岡は残りの鏡と蛇口を猛スピードで磨いていき―― 
「マジかよ……」
 念入りに磨き上げられた、極が座っていた場所以外のほぼすべて洗い場の鏡、さらに蛇口を見て、体に泡を残したまま極は、安岡に駆け寄る。
「じゃ、じゃあこれで、どうも……」
「他は洗わんでいいのかっ」
 不満げに口を尖らせる安岡から、極は多少強引に掃除道具を受け取り、
「いいんですいいんです、もう……」
 と、急いでシャワーで体を流し、安岡の背中を押すようにして、浴室から脱衣所へと移動させた。
 何気なく触れた安岡の広い背中からは熱気が立ち上り、予想以上に硬い筋肉の張りが手のひらに伝わった。
「ダイゴさん、大学時代応援団に入ってたんでしたっけ」
『銭湯でバイトしたことでもあるんすか』と話を逸らすつもりだったのが、ついそちらの興味が先に出てしまった。
「うむ、うむ」と、安岡は不満顔から一転、ひげ面の頬を緩め、
「合宿中、団が使ってる風呂を新入生しんいりは毎日掃除させられるんだが、一番遅かった奴には一日中ふんどしを外して過ごす罰が与えられるもんだから、なるべく早く掃除する方法覚えてなぁ」
「へぇ」
 と、タオルで体を拭き終えて、カゴの中のボクサーパンツに手を伸ばした極は、
「な、なんすかそれーーー!?」 
 布地を手で摘んだまま、またもや全身が固まってしまった。
 そんな極のリアクションを見て、何かに気づいたように、それまでの得意満面から急に真顔になった安岡は、ずかずかと極の前に近寄り、がっしりと極の両肩を掴んだ。
 毛むくじゃらの巨漢ににじり寄られ、極は、思わずしゃっくりのように、ごくりとつばを飲み込んだ。
「これは……くれぐれも『他言無用』だからな、頼むぞっ」
「はっ、はいぃぃっ!!」
 極は引きつった顔で、ガクガクとただ首を前に振る。壁に貼ってある指名手配犯ポスターの犯人たちが全員小物に見えるほどの凶悪顔を眼前にして、それ以外の返答ができる人間がこの世にいるだろうか。
「よし、男同士の約束だからなっ」
 と、両肩に置かれていたごつい手が、極の背中に回り、
(せ、背中に回り……?)
 極が疑問を抱こうとする前に、極の体は、安岡に強く抱きしめられ、びっしりと生えた体毛に覆われた分厚い胸板と、多少突き出た腹に強制的に押し付けられた。
「え、ちょ、えぇ……?」
 羽交い締め並みに押さえつけられている上半身はどうしようもなく、せめて、だけは接触に至らぬよう、極が死に物狂いで腰を引いているところへ、
「ちょっと極、雨すごくなってきたから、そろそろ店のシャッター降ろさないと……」
 出入り口から母の声がした。
(やべっ)
 と極が思う間もなく、
「あらっ!!」
 と、母はすっとんきょうな叫びを上げたのち、
「あらあらあらあらあら」
 と、遠ざかっていった。
 安岡おっさんの太い腕に抱かれながら、極は一気に血の気が引くのを感じていた。

「あー、かなり降ってきたっすねー」
 極が極め湯の玄関まで出ると、一歩先では、土砂降りの雨が間断なく降り続けていた。
「ダイゴさん、傘大丈夫っすか」
 振り返り、空っぽの傘立てと、風呂道具しか手にしていない安岡を交互に見て、極は声を掛ける。
「おう、心配するな」
 と、靴箱のキーをデニムのポケットから取り出し、中からレジ袋とスニーカーを取り出した。袋の中身は雨合羽で、安岡はそのまま前掛け姿の上に着込む。
 あの・・あと、極はパンツ一枚だけ穿いて、すぐさまロビーまで母を追ったものの、
『見てないよっ、あたしゃなーんにも見てないからねっ』
 と首をぶんぶんと横に振るばかりだった。そこへ、服を着た安岡が駆けつけ、事情を説明してくれたが、
『いいんだよっ、今の時代はね、二人が良ければ、あたしたちだって嫌とは言えないんだからっ』
 と、なかなか納得せず、完全に誤解が解けるまで、数十分の時間を費やしてしまった。
「すんません、こんな時間まで足止めさせちまって」
 極は、スニーカーに足を突っ込んだ安岡に、ぺこりと頭を下げる。平成の終わり、すなわち令和初日まで、あと三十分もない。
 フードをかぶった安岡は、振り返り際に、にっと笑みを見せた。
「いやいや、俺の方こそお袋さんに要らぬ心配をさせちまったしな」
 一歩雨の中に足を踏み出そうとした安岡に、
『どうぞお気をつけて。令和もよろしくお願いしまっす!』
 と、見送りの挨拶をしようと、極が口を開きかけたとき、
「そうそう」
 安岡はふたたび振り返り、右手の小指を突き出すと、
「コレとはもう話をしたのか」
「ど」の口のまま、極の動きが完全に止まる。
 土砂降りの雨音が、どこか遠くのノイズに聞こえ、幅三センチの平均台をつま先で歩いているような恐怖を、高鳴る鼓動とともに味わっていた。
「ちょ……な、な、なんすか急に」
「ほれ、時々ここに来る若い女の客で、年の頃なら二十七、八。火曜のドラマに出ているなんとかという女優に似た」
「あーっあーっあーっ」
 気がつくと、極は大声で叫んでいた。完全に極の意中の人と、特徴が一致していたからだ。
「ネットワーク」を超えた、下町情報網の真の恐ろしさに、唇が震え始めた。
「お……俺には」
 若干声が裏返っていた。が、
「な、何のことだか……」
 としか答えようがない。
「そうか」
 極の様子をじっと確認するように、安岡はうなずく。
「その娘は、俺の店の客でもあって、時々顔を見せるんだが……ならば、付き合っている人間がいるかどうか、あえて訊いておく必要もないな」
 もう一度、安岡は、極をじっと見てから、
「俺の勘違いだとしたら、だがな」
 と意味ありげに笑う。
 もはや、極の口からは何の言葉も出ない。
「そうそう、まったく何の関係もねえが」
 安岡は、前掛けのポケットから取り出したカード入れのような黒いケースから、一枚の小さな紙を、両手で取り上げた極の右手にぎゅっと握らせた。
 それは名刺で、筆文字の「安岡酒店」と、ひげ面の安岡の似顔絵、連絡先が記されていた。
「何かの役に立つかもしれん、とりあえず持っといてくれや」
 あまりの精神的ショックで無言のままの極の手をもう一度強く握ると、安岡は、「じゃあな」と雨の降りしきる道を小走りで駆け出していった。
 極はしばらく呆然として、立ち尽くしていたが、
「……っ!!」
 最近あまり話をしていなかった安岡ですら知っているということは、その周辺の連中も――
「これ……ヤバいんじゃ」
 つぶやいた直後、極は雨の中に飛び出していた。
「うわ、すげっ」
 思ったより雨足が強く、安岡を追いかけようとした足が立ち止まり、一瞬考えて、傘を取りに、すぐ隣の自宅の玄関へと向かった。
「……ん?」
 玄関の扉がわずかに開いている。不思議に思いながら中に入ると、
「うわ、っ」
 靴脱ぎ場に、母とそして、もう一人――
「……オヤジ?」
 仏頂面の父が、左手を母の肩に置いて立っていた。
 腰を痛めて以来、ここ数か月部屋にこもりきりで、一日の大半をパジャマ姿で過ごす父親が、クリーム色のポロシャツに、紺色のスラックスを穿いている。すっかり足も衰え、七十キロを超える体重を支えるために、普段の移動には杖が欠かせないのだが、今はそれも手にしていない。
「あたしも『せっかくだから大ちゃんに顔見せてやりなよ』って言ったんだけどねぇ」
 母が渋い顔で極を見る。
 はっとして、
「俺、ダイゴさん呼んでくる!」
 と、また外に出ようとした極に、
「余計なこと……すんじゃねえ」
 父のしわがれた声と、母の「あらっ」という声が重なった。極が振り返ると、父が極の手をつかもうとして、バランスを崩しかけていた。ぎょっとして、極は父の腕に手を回し、体を支える。
「この人もさ、見栄っ張りだから……」
 わかってあげてよ、と言いたげに上目遣いで見る母に、極もうなずいた。同時に、安岡を追おうという気持ちも、いつの間にか失せていた。
 父の体を注意深く母に預けたのち、
「とりあえず、極め湯みせ閉めてくっから」
 極はまた外に出た。まだ雨は降っていて、外の照明を消した極め湯を濡らしている。
「ん?」
 目の前にそびえ立つスカイツリーのライトアップが消えて、大半が霧に覆われていた。消灯時間は午前零時なので、
(もう令和になっちまったのか……)
 少々の落胆を感じながら、玄関に入ろうとしたときだった。
「……え」
 灰色に光る雨空へ、花火のように、赤い光がツリーの地上から上っていく。
 光はツリーの真ん中で止まり、続いて下部、上部に白い光が灯る。先端は厚い雲で隠れていたが、霧の中にぼんやりと浮かび上がるその姿は、神々しいまでの存在感を放っていた。
「令和、か……」
 叩きつける雨が全身を濡らすのも忘れて、極は新しい時代に光り輝く塔と、我が極め湯をじっと眺めていた。
 寸前に見た、母の肩を借りてようやく立っていた父の、弱々しい姿がふと脳裏をよぎる。
「令和も続けられるのかな……極め湯うち
 雨が顔を濡らし続ける口から、思わず弱音が出る。
 ――『ま、何か困ったことがあったら、いつでも俺に言ってくれや』
 ふと、先程まで一緒に風呂に入っていた安岡の言葉が、頭を撫でられた感触とともに蘇る。
「ダイゴさん……」
 なぜか、その時多少の心地良さを感じたことに戸惑いながら、安岡の顔――よりも先に、巨大なモノ・・がくっきりはっきりと思い浮かんだ。
「うわぁ……」
 極の口から盛大に嘆息が漏れたとき、
 
 ♪~
 
 ジャージズボンのポケットに入れていたスマホが通知音とともに、震えた。
 ぼんやりとしている間に、雨はどんどん極の体を濡らしていく。
「うぅ、さみぃ」
 体をぶるりと震わせた極は、小走りで玄関に入り、すぐさま店のシャッターを下ろした。
「タオルタオル……っと」
 男湯に戻った極の耳に、平成で最も売れたという「あの曲」が届く。見上げると、テレビの画面の中では、あの五人が、解散前に見せた鎮痛な表情が嘘のように、全員で肩を組み、笑顔で歌っていた。
 今日だけのことなのか、それとも今後も続くのかはわからないが、国民が望んだ一夜の夢としては、悪いものではない。
 極は、大鏡の近くのリモコンを手に取り、テレビを消してから、カゴの中のタオルを、びっしょりと濡れた頭の上に載せた。
 続けてポケットからスマホを取り出そうとしたとき、
「む」
 スマホより先に、硬い紙の感触が指先に伝わる。それは、安岡からもらった名刺だった。
「うー……ん」
 少し考えてから、画面のロックを解除し、メッセージアプリを起動する。
 
『さっきはどうもありがとうございました!  そんで、“例の件”について、もう少しお話を聴きたいんですけど。ご都合のいい時に返信よろしくです』
 メッセージを安岡のケータイに送り、タオルで濡れた頭をこすりながら、あらためて通知欄に目を通そうとしたとき、


 ♪~


「早っ」
 まだ寝ていなかったのか、安岡からの返信が届いた。
 
『すまんが俺は察しが悪いもんでな、“例の件”とは何の事だ? もう少し説明してもらわんと話のしようがない。詳細よろしく頼む』

「知っててこういうこと言う……」
 軽くため息を漏らしてから、極は画面の上で指を動かした。

『じゃあ、近いうちに二人だけで話できる機会作ってください。くれぐれも“他言無用”でお願いしますからね!!』

 すぐに返信が来た。

『了承した。俺は口が堅いから安心しろ。まぁ、“俺は”だがな』

 ガハハハ……と高笑いが聞こえてきそうな文章を見ながら、またもや巨大なアレ・・が脳裏に浮かぶ。
「………………はぁぁぁぁぁぁぁぁ」
 長ーーーいため息を漏らし、極は、あらためてスマホの通知画面を確認した。
 
 極め湯 @kiwameyu 4月30日
『本日22時で平成最後の営業を終了いたしました。明日も通常通り、15時からの営業を予定しております。昭和・平成と変わらぬご愛顧を、令和に入ってもどうぞよろしくお願いいたします。
なお、風呂を沸かすための薪・木材を提供してくださる方、量にかかわらず、個人でも業者の方でも随時募集中です!!』

 二時間ほど前のこのつぶやきに、返信がいくつか書き込まれていた。

 返信先:@kiwameyuさん 1時間前
 けん @kentama4649
『これからも応援してるぜ!
  ♨探検調査員@shipporionsen
  スカイツリーが目の前! 八年前に浴室・脱衣場を改装した、六十年以上の歴史を持つ東京下町の銭湯。現在三代目の若い番台さんが薪で沸かした湯は柔らかな感触で、体の芯からじんわりと温まる。薪は常時募集しているそうなので、心当たりのある方は@kiwameyuさんにご連絡を。営業時間は十五~二十二時』

 はるな @kouraku_janeeyo
 返信先:@kiwameyuさん 7分前
『祝令和!
昭和の時代から極め湯さんにはお世話になっております。(トシがバレる……)
仕事帰りに毎日癒やされてます。また差し入れ持っていきますねー。』

 John @pride_arigato
 返信先:@kiwameyuさん 3分前
『れいわ おめでとござます。
9ねんくらいまえ とうきょう いったとき おおきな おとこのひと きわめゆさん おしえてもらて はじめて せんとう はいりました。 
また とうきょう いったら きわめゆさん いきたいです。』

 タオルで頭を拭く手が止まり、極は食い入るようにスマホを見つめていた。
 普段寄せられる内容は、リクエストや要望がほとんどで、自分から「極め湯」で検索して、それが含まれる書き込みを紹介する程度だ。ここまで一度に祝いのコメントが寄せられたのは、七年前にこのSNSを開設してから、初めてに近い。
 三番目の外国人らしき「ジョン」のプロフィール画像には、赤茶けた髪をソフトモヒカンにした、口の周りに髭を蓄えた白人の男の笑顔が写っている。
 ふと、先ほど、下着を履いたまま風呂に入ろうとした、彫りの深い顔の外国人を思い出した。
 もしかしたら彼も、極め湯のファンになってくれるだろうか。
 いやいや、と極は首を横に振る。
「図に乗るなよ、俺」
 昭和・平成に渡って、祖父と父が守ってきた極め湯。そのファンを増やすのは、三代目を継ぐ決断をした極自身の役割であり、自分にできることを地道に、
「やってくしかねえか……」
 寄せられたコメントを読み終わった極は、スマホをカメラモードに切り替えて、富士山のペンキ絵が大きく描かれた大浴場を撮影した。
 
 極め湯 @kiwameyu 5月1日
『たくさんのお祝いコメント、本当にありがとうございました!
昭和・平成と同様、令和も、極め湯は薪で沸かしたお湯でいつでも皆様をお待ちしております!
三代目、令和も頑張ります!


あと恐縮ですが、薪のご提供のほうも、どうぞよろしくお願いいたします!
#昭和 #平成 #令和 #極め湯 #三代目 #銭湯』



 

 ――ですが、後でいろいろ直すかも。





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    他言無用!(中篇)

昭和・平成・令和 極め湯三代目物語(後篇)

2019年04月30日 22:22

前篇はこちら

後でいろいろ直します。

※【● は、後で削除するかもしれない印。
《・・・》は、傍点の印



冨川《とみかわ》冨士夫《ふじお》が、浅黒い肌に付いた水滴をタオルで拭きながら立っていた。八十一歳という年齢なりに髪はほぼ白く、皮膚のたるみはあるものの、いまだ頑強な体からは、うっすらと湯気を立ち昇らせている。
 亡くなった極の祖父と親しく付き合っていたことから、小さい頃から「キワメちゃん」と極を孫のように呼ぶ。
「あっ、冨士夫さん、どうも」
 手を止めて、極も気安くあいさつを返す。
「もうすっかり立派な三代目だなぁ」
 本当の孫の成長を見るかのように、体を拭き終えた冨川は目を細める。
「……あ」
 思わず口元が緩み、『そうっすか?』と口に出してしまいそうになる。
「とんでもないっす」
 形だけ首を横に振り、『平成も今日で終わりっすね』と、何度となく客と交わした会話《ネタ》をしようと、口を開きかけた寸前、風呂道具を常連客用の棚に置いた冨川は、
「ところでキワメちゃん、さっき大変だったらしいねえ」
 脱衣かごから出した褌を締めながらさらりと口にした。
「え……」
 目が泳いだのが、自分でもわかる。先程男湯で騒動を引き起こした外国人が帰ってから、五分も経っていない。
「……あ」
 ありえねー、と思わず言ってしまいそうになり、すかさず極は口をつぐむ。
「大変って……」
 何のことすか、と返すのも、いかにも白々しい。とりあえず戸惑った表情を作り、ステテコを穿いた冨川に向けてみる。
 冨川はとぼけた表情で、
「ほれ、キワメちゃん、ガイジンさんの前で素っ裸になったんだろ」
「ちょ……言い方!!」
 つい大きくなってしまった声に、他の客たちの視線を感じる。テレビの画面では、「ちょ、待てよ!」との言葉が飛び出し、スタジオで大爆笑が巻き起こっていた。
(このタイミングで……っ)
 熱くなった顔を見られないように、極は他の客にお辞儀形式で頭を下げる。そして、誰にも聞こえないほどの小さな溜息をついてから、
「それ、誰から……」
「さて、誰だろうなぁ」
 この世代にしかできない絶妙なはぐらかし加減で、薄いベージュの作務衣を上下《じょうげ》着終えた冨川は首をひねる。
「ま、次来た時までには思い出しておくわ」
「あぁ……はい」
 とぼけているのか、それとも本当に忘れているのか。判別に迷っている間に、冨川は「じゃあな」と右手を上げると、脱衣所を後にした。
 三十分ほど前――。
 番台に座っていた極の元に、骨ばった体をまともに拭かず、水滴をぽたぽた垂らしながら、腰にタオルを巻いただけの老人の客が、男湯から駆け出してきた。
「ど、どうしたんですか」
 思わず立ち上がった極に、老人は、はげ上がった頭から湯気を出すほどの勢いで、
「いいからちょっと来てくれよっ」
 と、何度も男湯を指差す。
 とにかく老人に続いて男湯に入ると、中南米系と思われる、彫りの深い顔の褐色の肌をした外国人の青年が番台で購入したタオルと石鹸を手に、浴室のガラス戸の前で、きょとんとした顔で立っていた。完全に裸ではなく、赤い布地に墨を流したようなローライズのボクサーパンツを穿いた彼の姿を見て、極は状況を一瞬で理解する。
「すみません、お風呂に入るときには、全部脱いでいただけますか」
 しかし、極のお願いにも、外国人は怪訝な顔のままだ。番台の前に現れた時は、片言ながらも日本語を話していたのだが、やはり日常会話はまだ無理のようだ。 
「あー、あー、……ルックディス」
 壁に貼られた、外国人向けに四か国語で入浴マナーが描かれたポスターを見せる。
「ユーニードトァビーネイクドビフォーエンターリングザバス」
 こんな時のために覚えておいた、「風呂に入る前に服を脱いで」のフレーズを伝える。
 しかし、英語が通じないのか、それとも極の発音が悪いのか、ひげを蓄えた彫りの深い顔からまだ戸惑いが消え去っていない。
「あー、あー……」
 言葉に詰まり、固まった末に、極はシャツとジャージズボンを脱ぎ捨てた。他の客の視線を気にしている余裕はない。
「ミートゥ、ミートゥ」
 人差し指で自分の体を指し、そして、最後の黒いボクサーブリーフをゆっくりと下ろす。
「プリーズ、テ、テイクオフ」
 【● まるで男のストリッパーになったようで、。》
 生まれたままの姿になった極を見て、外国人の男は、裸で成り行きを見守っている他の客たちも見回すと、オオ、と外国人は合点したようにうなずき、
「ゴメンナサイ」
 と、下着を下ろした。
 この騒動が、暇を持て余した老人《きゃく》たちの格好の話題になることは極も覚悟していたが、冨川が姿を現したのは、外国人が帰った数分後だ。
(マジ早すぎるって……)
 冨川が去った後も、男湯の出入口をぽかんとして見つめていた極は、数秒後はっと我に返る。ちらりと他の客を見ると、みな含み笑いを浮かべて極の反応を伺っている――ように見えた。
 すかさず極は下を向いて、「仕事中」オーラをこれ見よがしに振りまきながら、床掃除を再開した。

 極め湯 @kiwameyu 4月30日
『本日22時で平成最後の営業を終了いたしました。明日も通常通り、15時からの営業を予定しております。昭和・平成と変わらぬご愛顧を、令和に入ってもどうぞよろしくお願いいたします。
なお、風呂を沸かすための薪・木材を提供してくださる方、量にかかわらず、個人でも業者の方でも随時募集中です!!』
 今日最後のつぶやきをして、アプリの送信ボタンを押し、極はスマートフォンをズボンのポケットにしまった。
 最低限の明かりだけ残し、薄暗くなった極め湯の店内に客の姿はすでになく、脱衣所のテレビだけが絶え間なくしゃべり続けている。
 平成の歴史を振り返るコーナー、ガングロギャルが集団でパラパラを踊っていた。
 何一つ興味のない内容に、テレビを消そうかと、大鏡近くのリモコンに近寄ろうとしたが、
(今日ぐらいは点けておくか……)
 と思い直し、シャツとジャージズボンを脱ぎ、下着一枚になる。
 ふと、大鏡に映った自分の体が目に入った。
 上半身の、特に肩から肘にかけてがっしりと付いた筋肉に比べ、下半身の太腿から下はやや細い。そのアンバランスさに、つい舌打ちが出る。
「下半身だけ鍛えるジムってねえかな」
 ま、行く時間ねえけど、と一人で突っ込みを入れ、
「さ、平成最後の掃除すっか」
 と、ボクサーパンツを下ろしかけた時、玄関の方から、
「……せっかく来たんだからさ、入ってきなよっ」
 と、母が誰かを引き留めている声がした。
「ん?」
 半分下ろした下着にかけた手を止めて、出入口を見ると、すっと開いたドアから、丸顔に白髪交じりの母親が、ぬっと顔を出した。
「おぁぁぁぁぁ……てっ!!」
 瞬速で下着を引き上げた際、体の一部分《・・・・・》がゴムと強くこすれ合い、思わず●カンフー映画のような声が出てしまった。
「なになになにっ」
 いくら母親とは言え、さすがに「不意打ち」はないだろう。極が不平を口に出す前に、
「あんたもうお風呂入ったのかいっ」
「いや、これからだけど」
 それがどうしたんだ、と続ける前に、母は顔を引っ込めた。そして、ほらほらほら、と急《せ》かすような母の声に、いやいやいや、と申し訳なさそうに答える野太い男の声がした。特徴的なだみ《・・》のかかった声にはっとして、極はパンツをもう一度引き上げると、カウンターに走った。
 ドアを開けてすぐに、風呂道具を抱えた常連客、安岡大吾を、母が強く引き留めている姿が目に飛び込んでくる。仕事帰りでそのまま来たのか、「安岡酒店」と書かれた、色の褪めた前掛けを二メートル近いずんぐりとした巨躯に付けたままだ。
「どうしたんすか、ダイゴさん」
 相変わらずの無精ひげを生やした四角い顔を極に向けたとたん、安岡の顔がみるみる赤らむ。安岡が黙っている間に、
「いや、大ちゃんがね、今しがた来たんだけど、うちの銭湯《ふろ》に入んないでこのまま帰っちまうって言うんだよ」
「いやいや、おばちゃんもキワメも気にせんでくれ。明日また来させてもらうから」
 なっ、なっと、母と極に両手を合わせて、安岡はじりじりと玄関に後ずさりしようとした。
 極個人としてはそれでも構わないが、極め湯の店主としては、
 はいそうですかというわけにもいかないだろう
常連客に対する正しい対応とは言えないだろう
そうもいかない。
「ちょうど俺もこれから風呂に入ろうと思ってたし、良かったらダイゴさんさん一緒に入りません?」
 安岡は一瞬言葉に詰まり、妙に困惑した様子で極の体を上から下までじろじろと眺めてから、はっとして咳払いをしたあと、
「……いやいやいやいや」
 思い直したように目を何回かしばたたかせ、視線をさまよわせながら、先程よりも明らかに小さな声で、小刻みに首を横に振った。
 それをまた母が引き留めるというやり取りが延々と続き、数分後、
 極に続いて、安岡は男湯ののれんをくぐった。
「ちょ、ちょっとだけだからなっ、パッと入ってジャッと流して、サッと出るだけだからなっ」
 安岡が言い訳のごとくしきりに繰り返している間に、極は壁沿いのスイッチを押した。テレビ音声が流れるなか照明が点き、薄暗かった脱衣所はふたたび営業用の顔となる。
 今でこそ
時々公私ともに相談に乗ってもらうほど信頼を置いている安岡だが、高校時代には手の付けられない“武闘派”だった、らしい。
 当時、この銭湯の二代目の父親が番台から、安岡と、その友人玉川金次郎をよく怒鳴りつけ、安岡も負けじと噛みつかんばかりに「うるせえハゲジジイ」とやり返していた記憶が、幼稚園児だった極の脳裏にうっすらと残っている。
 のちにそれぞれが家業を継ぐ立場となり、町内会の集まりで、たがいに顔を合わせた時、冨川など、昔の安岡を知っている人物からその話題が出ると、
『あれは若気の至りだった……』
 と、大きな体を縮みこませて、ひたすら周りに恐縮する。
 今では、誰に対してもお節介なほど親切な“好中年”になり、家業を継ぐことを一度は拒否したこと、父親との関係が一時期うまくいかなかったことが共通し、極にとっては、色々な意味で大きな《・・・》頼れる兄貴といったポジションにいる。
 常連客用の風呂道具置きの棚の隅に置いてある、自分のそれを手に取り、極は安岡の近くに戻ると、
「じゃ、入っちゃいますか」
 と、パンツをするりと下ろそうとしたが、安岡がなぜか自分の風呂道具を手にしたまま、じっとこちらを見ていることに気づき、
「……なにか」
 手を止めて振り返った。安岡は、まるで悪事を見つけられ
たかのようにうろたえつつ、「い、いや、あの、その……」と指示代名詞を繰り返した挙句、
「だから、その、ロッカーが……」
 強面でむさ苦しい顔に汗を浮かべた安岡が、右手の太い人差し指を、極の背後に向けてそろそろと突き出した。つられて極が振り返ると、脱衣ロッカーの戸を一つ残らず開けっ放しにしたままだった。
「えーと、これは……」
 今度は極が言葉に詰まる。
「……風呂に入る前に掃除するつもりだったのか?」
「まあ、ちゃちゃっと……やっちゃおうかな、って」
 凄みのある目付きに睨まれ――本人には別にそんなつもりはないのだろうが――、極はあっけなく白状した。やはり、幼少時の“トラウマ”はまだ完全に消え去っていないらしい。
 それはさておき、安岡の性格からして、おそらく掃除を手伝ってやろうと言い出すのはほぼ間違いないが、いちおう『大丈夫っすよ』と言おうと、「だ……」と言い掛けた時、
『キャーッ!』
 突然、脱衣所に女の叫び声が響き渡った。極と安岡はギョッとして顔を見合わせてから、声の出所を探す。
『平成二十三年三月十一日、私たちはこれまで経験したことのない、未曽有の大災害を目の当りにしました』
 すぐあとに流れる落ち着いた男の声に、二人の目は頭上のテレビに吸い寄せられる。
 画面の中では、真っ黒な津波に土台ごと崩された何軒もの家々が、車やガレキとともに海に流されていく、「あの日」以来、何度も見た映像が映し出されていた。
 極は口を閉じるのも忘れ、数秒画面に目がくぎ付けになった。
(あっ)
 安岡に答えるのを忘れていた。
「だ、大丈夫っす」
 笑顔を作ってよいものか迷いながら、安岡に振り向く。しかし、安岡からの返答はなく、
先程までの明るさが嘘のように、顔をこわばらせていた。
 確かに、あの大震災は人々の心に大きな傷を残し、極自身の運命も大きく変えた。しかし、八年経って、いまだにここまでの反応をするのは珍しい。初めて見る表情だ。
「あ、あの」
 極の呼びかけに、安岡は我を取り戻したように、食い入るように見つめていた画面から目を離し、
「お、おう、なんだっ」
 明らかに作り笑いとわかる表情で答える。
「風呂、入っちゃいましょ」
 安岡はうむとつぶやき、しばらく考えてから、
「……そうだな」
 つぶやくように答えた。
「そ、そうっすね」
 てっきり掃除の手伝いを申し出てくれると思っていたので、多少拍子抜けしたものの、それは表情に出さずに、ロッカーの隣に積み上がっている籐の脱衣カゴを二個取り出し、安岡に渡した。
「どうぞ」
「あ……すまんな」
 まだぎこちない表情で安岡はカゴを受け取ると、風呂道具とタオルを入れたバスケットを床に置き、前掛けを外してカゴに入れた。
 その間に極もあらためてパンツを下ろし、裸のまま安岡を待とうかとも思ったが、
(急《せ》かせるし、間が持たねえしな)
 と考え直し、お先っす、と振り返るとそこには、
「じゃ、入るか」
 安岡が、野生動物のように毛深い体をすべて晒して立っていた。
「……えっ」
 服はすべてかごに収められている。安岡から目を逸らしてから、十数秒しか経っていないはずだ。
「いつ脱いだんすか……」
 顔以外の場所《・・・・・・》にも、引き寄せられそうになる目を丸くした極に、安岡は、へへ、と、悪戯盛りのガキ大将のような笑みを浮かべて笑う。
「もう少し早く来れたら、俺がキワメの代わりに、『その外国人』に風呂の入り方教えてやれたんだけどなっ」
「……はぁ」
 やはり、下町のネットワークは侮《あなど》れない。

「悪かったな」
「えっ」
 極が頭からシャワーを浴びていた時、隣で湯を浴びていた安岡が、独り言のようにぼそりと口にした。
「いつもはもうちょっと早く仕事が終わるんだが、今日はなぜだか酒の配達の注文が殺到してな。こんな時間になっちまった」
「今日で平成が終わりだから、それと関係があるんじゃないすかね」
 だな、と相槌《あいづち》を打つ安岡の声に交じって、シャワーの水音がした。何気なく極が安岡に振り向くと、
「……えっ」
 頭から足先まで付いた石鹸の泡を流しているところだった。安岡から目を逸らしてから、十数秒しか経っていないはずだ。 
 安岡はシャワーの蛇口を締めると、
「さて、入らせてもらうとするか」
「あ、じゃあ俺も……」
 あわてて極も湯を止めてから、目にかかった髪の毛を手で払い、立ち上がった安岡を軽く見上げる。すると――
(おぉぉぉ……っ)
 ちょうど目の高さに、年齢なりに突き出た安岡の腹があり、その下の、遠近法を完全に無視して、だらーーーりとぶら下がっている巨大なもの《・・》を直視してしまった。
 仕事柄、様々な男のそれ《・・》を目にすることは、決して少なくないが、安岡の場合、男としての自信を奪い取るには充分な、まさに特Aランクの凶器と呼べるシロモノである。ちなみに極自身は、Bの上――といったところだろうか。あくまで自己評価だが。
「ん?」
 安岡のいぶかしげな声に、はっとして極は顔を上げた。目が合った安岡は、にやりと笑い、
「ガハハ……どうだ、恐れ入ったか」
 どっしりとした腰に両手を当て、心なしかそこを突き出し気味に胸を張る。
 四十過ぎの男《おっさん》とは思えぬ悪乗りに、極は顔が強ばり、頭がくらくらするのを感じていた。
 ともあれ、二人は同じジェットバスに肩を並べて浸かった。
「くぅぅぅぅぅっ」
 湯船に入った途端、安岡は万歳をするように、両の拳を天井に突き上げてから、武骨な顔を心地よさそうに弛緩させた。
(……変わってねえな、ダイゴさん)
 昔のまま、態度で感情を表す安岡を間近で見て、極の心も、懐かしさで満たされていく。
「こうやってダイゴさんと一緒に入るのって……何年振りっすかね」
 うむ、と安岡は太い首をひねり、
「俺も店の仕事をするようになってから、前みてえにしょっちゅうは来れなくなっちまったからな」
「高校出るまでは、金次郎さんとよく来てなかったっすか。そんで、風呂ではしゃぎすぎて、俺の親父によくキレられてた気が……」
 極の指摘に、「あ、あれはだなっ」と安岡は急に渋い顔になり、
「俺が入ってる時に、金次郎が勝手にやってきて、ちょっかい出すもんだから、俺も、つい、な」
 大きく四角い顔の太眉を八の字にして、きまり悪げな表情を見せる。
「で、最後に俺がキワメの、はだ……姿をここで見たのは、俺が大学出たあたりだったから、キワメが中学に入ったぐらいか?」
「……そんな感じっすかね」
 微妙な間が開いて、極が答える。
 昭和三十年代、祖父が開業した「極め湯」は、昭和六十三年に父親が引き継ぎ、その翌年、すなわち平成元年に極が生まれた。この名前からも明白なように、生まれながらにして、銭湯の三代目を期待されていた極だったが、昔から、実家が銭湯であることを他人に知られるのが嫌だった。
 当時の番台は、男湯と女湯が見渡せる間仕切り付近にあり、そこにどっかりとだるまのように座っている父親を助平扱いする男の級友たちも少なくはなかった。名前が名前なだけに、極め湯との関係を彼らにしつこく聞かれたものの、知らない関係ないの一点張りで押し通した。
 だが、その「スケベオヤジ」が、番台を担当する母親の代わりに、小学校の参観日に姿を現した時のいたたまれなさは、今でもはっきりと覚えている。
 その夜、極は、あれほど来るなと言ったのになぜ来たのか、と父親に食って掛かったものの、「風呂屋のどこが悪《わり》ぃんだ!」と一蹴された。家族の中で極に味方する者はいなかった。
 それ以来極は、自宅の銭湯には入らず、小遣いを使って、わざわざ別の銭湯に行くようになった。もちろん、それを家族、特に父親が面白く思うはずもなく――。
「中学から俺、親戚の叔父さんとこに世話になったんで」
「……そうか」
 安岡は、それだけ言って、黙った。
 母方の叔父は、有名商社に勤めるサラリーマンで、麻布の家に極が家出同然に押し掛けた時にも、極の言い分――このままだと自分の将来は銭湯の番頭しかないこと――を聞いてくれた。その後、父親とどういう話し合いがもたれたのかは不明だが、叔父の家に子供がなかったことも影響したのか、とにかくそこから中学・高校に通い続けることが認められた。大学進学後は学生寮に入り、卒業後は社員寮かアパートを借りるつもりだった。
 もちろん、実家に帰るつもりは一切なかった。
 安岡は、ふと神妙な面持ちになると、
「ところで、おやっさんの具合はどうだ」
「まだ、ちょっと……」
 そうか、と安岡はうなずき、
「俺が言うのもなんだが……昔いろいろあったとしても、オヤジはオヤジだしなぁ」
 そこで、安岡は言葉を終え、汗で濡れた顔を大きな手で拭った。
『だから親孝行しろよ』と続くのかと、極は安岡の言葉を待ったが、安岡は黙ったまま、広い背中に当たるジェットバスの水流を楽しむように、目を細めている。
「俺もキワメも、あれだけなりたくねぇっつってた家業を継ぐとは、人生わからんもんだな」
 ふと、独り言のように安岡はつぶやいた。
「……そうっすね」
 心からの同感を込めて、極もうなずいた。
 父親との断絶が続いたまま、大学四年を迎えた極は、区役所の職員採用試験を受験し、合格した。
 さすがにそれを報告しないわけにもいかず、正月に一度実家に帰ったものの、銭湯の改修工事と重なり、父親はろくに極と会おうともしなかった。工事を一切知らされていなかったことにも腹立たしさを感じたが、もはや、後継ぎではない自分がどうこう言うのは筋違いなのだろう。
 ただ、どこか、心の中にぽっかりと穴が開いたような虚しさが残った。
 そして、大学卒業をほぼ十日後に迎えた、平成二十三年三月十一日――。
 この日からしばらくの出来事は、断片的にしか極の記憶に残っていない。
 寮の部屋の片づけをしていた最中、カタカタとどこからか物音がした直後、部屋全体が大きく揺れ始めた。窓がきしみ、棚から本やDVDが次々と床に落ちていく。数十秒で治まるだろうと思われた揺れは、数分経っても止むどころか、さらに激しくなった。
 やっと揺れが小さくなり、極は事態を把握できないまま、すぐに廊下に走り出た。
 不安な表情で寮生が集まってきた談話室のテレビでは、テレビ局の付近のビルから立ち上る黒煙の映像を映し出し、ベテランの女のアナウンサーが「身の安全を確保してください!」と必死に叫んでいた。
 数人の寮生が、こわばった表情でスマホを操作したり、耳に当てているのを見て、極も一度部屋に戻り、バッグから取り出したスマホで家に電話をしたが、何回掛け直してもつながらない。
 とりあえず財布とスマホを持ち、最寄りの駅に向かったものの、すでに電車は全線運転見合わせとなっていた。人がぞろぞろと集まり始めている中、駅員を探して再開予定を訊いても、詳しいことはまだ何とも言えないとだけしか答えない。
 駅を出て辺りを見回しても、車は渋滞し、バス停には長蛇の列が並んでいる。
 人々は群れを成すように歩道を歩いていく。考える前に、極も徒歩で遊織方面に向かった。
地図アプリで極め湯までの距離を測ると、二十三キロ程度、時間にして六時間弱とある。
(マジかよ……)
 日が暮れて、普段は歩いたことのない道、橋の上、線路沿いをひたすら歩き続ける。二、三十分置きに自宅に電話を掛けてみるが、相変わらず「話し中」の通知音しか返答がない。時折途中の駅に近寄ってみるものの、疲れ切った顔の乗客たちが大勢床に座り込んでいる姿を見て、事態が改善されていないことを知り、すぐさま道路に戻った。
 三時間ほど歩き続けて、
 腹が減った
 なぜ自分は歩いているのか疑問に思った
 足が棒になるのを感じた
 引き返したいと思った
 このままでは今日中に着くのは無理だ
 行って何をする 安否確認できればそれでいいではないか
 極は立ち止まり、もう一度スマホを見る。バッテリー残量は十九%。
 極の口からため息が漏れる。
 
 ――このままのペースで書き進めていくと、回想シーンが終わる前に作品内で令和を迎えてしまうので、以降は、のちに町内のミニコミ誌に掲載された記事から抜粋する。

『大震災で使命感じる 極め湯三代目ただいま奮闘中!』
 その日の深夜、一部復旧した電車でようやく改装直後の極め湯に帰りついた極さんが目にしたのは、脱衣所の床に落ちた備品のかけらを懸命に片づけている家族の姿だった。
 翌日には、近所の商店街の人々も手伝いに現れ、一日のみ臨時休業したのち、極め湯は一週間無料で開放された。
 その賑わいを目にした極さんの心に、「六十年以上、地域の人々に支えられ、お客様を癒してきたこの銭湯を、はたして父親の代で終わらせていいのだろうか」という、使命感にも似た疑問が浮かんだ。

 かなり“演出”が施されているものの、とにかく、極は上司――になるはずだった人間に辞職願を提出し、極め湯を継ぐこととなった。
 と、一文で説明したが、それに至るまで数々の紆余曲折《うよきょくせつ》があったことはあえてここで記すまでもないだろう。
 それから八年が経った。
 仕事も楽ではないし、経営も相変わらず厳しいことに変わりないが、安岡や冨川のような常連客に支えられ、今でも極は極め湯の番頭を続けることができている。
 ただ、二人三脚で極め湯を支えてきた父親が、去年の暮れあたりから元々の持病だった腰痛が悪化し、掃除や薪の調達など大半の仕事を極が引き受けるようになった。

 ――「下町の銭湯として、自分の世代でもお客様に愛されるよう、頑張っていきたいと思います」と、極さんは力強く語った。

 と、ミニコミ誌の記事では締められていたが、現実がそう甘くないことは極自身がよく知っている。
 はたして、令和の時代も、極め湯は生き残っていけるのだろうか。
(……わかんねえ)
 湯に浸かりながらも、極の心の底にこびりついた不安は、消え去りそうにない。
「……どうした、キワメ」
 はっとして極は、うつむけていた顔を上げる。安岡に振り向くと、眉間にしわを寄せて威嚇《いかく》――ではなく、おそらく心配そうな表情でこちらを見つめていた。
「……いえ、なんでもないっす」
 とっさに口角を上げて答えたが、それが「笑顔」になっているかどうかは、自分でも自信がなかった。
「……そうか」
 一呼吸おいて、安岡は、いつもの厳《いか》つい笑みを浮かべると、湯船からざぶりと出した左手で、極の頭をがしがしと撫でた。
「ま、何か困ったことがあったら、いつでも俺に言ってくれや。



 以下、令和投稿予定の完結篇に続く??



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    他言無用!(中篇)

新元号と珍迷走

2019年04月01日 23:00

今朝、このブログとpixivにひっそりと小説っぽいものを上げたのだが、ブログ拍手といいね、コメントはいただいたものの、独特の文体について質問はなかった。


よって
一人で答えます。

慣れてますから。


例年、僕は4月1日にエイプリルフールのネタをやっているのだが、今年はどうしようかと考えていた。
こういうのは何よりもノリが大事だから、今年の正月から念入りに準備していました、なんてのは性に合わない。
一方で、読者からネタに反応があるわけでもなく


毎年独り相撲


になることがほとんどなので、今年はテキトーな嘘をついてお茶を濁そうかとすら思っていた。



で、先月に入り。

ネタを何にしようか、中旬ごろ考えていたところ


新元号の発表が、4月1日になることを思い出す。




生きているうちに二度とあるかないかのビッグウェーブ
これはもう乗るしかない!


「新元号に関連したショートストーリーを書く」


これを決めたのが
2019年3月23日。



本番(エイプリルフール=四月一日)まで一週間あまりしかない……。
遅筆の僕に書けるはずがなかろう。


とはいえ迷っている暇はない。

とにかくテーマを決めて書き始めないと……。


「平成→新元号への移り変わり」がテーマなので
タイトルに「平成」は入れたい。
かつ、本番まで極めて時間がないので、設定を一から考えるのではなく、すでに僕の話の中に存在しているものを活用する。

その結果、『他言無用!』(中篇)に登場する、主人公その②安岡大吾が住む下町商店街の近くにある銭湯、「極め湯」を舞台にしたショートストーリーを書くことに決定。

しかし、この時点で、「極め湯」に勤める人たちの設定を一切決めていなかった。
さらには、銭湯の仕事そのものの知識もゼロ。

大急ぎで資料をかき集め、キャラクターと世界観を作り上げていく。
これにかかった時間が3、4日。
もう1週間切ってる……。



この時点での仮タイトルは、「平成極め湯物語」
だが、本番の時には新元号が発表されるので、どうせなら、それも入れた方がいいと思うように。
かつ、発表後に小説を出してもつまらない。発表前に出すのが肝。
そもそもエイプリルフールネタなのだし、思いっきりはじけたい。



というわけで、この時点で方向性が決まる。

・タイトルに新元号を入れる(発表前なので『●●』で代用)
・元号発表前にアップ
・ぎりぎりまで書く
・間に合わなくても未完成のまま出す。形式を整えない。変にオチを付けない。ブツ切りで
・作中に明らかな嘘を入れる(4月1日なので)
・アップ時にはまだ元号が決まっていないことをあえてネタにする
・全体として「これまでやったことのないこと」をやる


ちなみに、これは3月30日にブログにアップした、今年の抱負「迷走」の一環でもある。



というわけで、本当に今日の朝まで直していたものをそのままアップ。
たまたま朝から用事があったこともあり、無意味な改行も、謎の空白(音声入力の名残)も修正せず。



で、まぁ、これでネタとしては役割を終えたんだけど



続きどうしましょうかねぇ……。



pixivでは求められているんだけど、
これって、真に受けて続き書いたら、

「こいつ本気にしとるわ」

ってさんま師匠風味にプークスクスされるアレでしょ?

流知ってるんだから!



というわけで


続きは



あなたの心の中に……??

こちら




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    他言無用!(中篇)

昭和・平成・令和 極め湯三代目物語(前篇)

2019年04月01日 10:37

昭和・平成・令和 極め湯三代目物語(前篇)



 平成二十四年。
 前年の東日本大震災の記憶が、いまだ人々の心に深く刻まれていたこの年の五月、東京スカイツリーが開業した。
 古来の伝統と最新技術が融合した、世界最長の高さを誇るこの施設は開業当時、大変なフィーバーを巻き起こし、同人誌イベントの帰りに観光目当てで立ち寄った作者も、あまりの混雑ぶりに、展望フロアでの観覧を断念した記憶がある。
 それから七年が経ち、日本のみならず世界に定着した新観光名所から周辺に足を延ばすと、昭和三十年代から時間が止まっているかのような古びた家、目隠しフェンスで覆われた建築中の建物、マンション、コンビニなどが寄り集まる、現代の下町の光景が現れる。
 細い路地を近隣の商店街・遊織《あすおり》に向かって、十分程度歩くと、何の前触れもないまま、小さな銭湯がひょっこりと顔を出す。周辺に溶け込むように建っているこの二階建ての建物は、一階が銭湯で、二階が自宅。客用の玄関と個人宅の玄関が正面で隣り合い、ごくごく平凡な見栄えではあるが、真後ろにスカイツリーがそびえ立っている唯一無二の立地は、この土地ならではの威容を感じさせる。

 平成三十一年四月三十日午後九時半。
 平成最後となるこの日も、紫と白でライトアップされたスカイツリーの手前で、看板に「極め湯」と掲げたこの銭湯は通常と変わらず営業していた。
 靴ロッカーのある玄関からガラス戸を開けて中に入るとすぐに、番台のカウンターがある。そこに座っているのは、白いTシャツにスウェットジャージを穿き、耳と目にかかるぐらいの髪をジェルで無造作にまとめた、いかにも今時の若者といった風貌の青年だ。
 事情を知らぬ客からは、バイトか、あるいは家業の手伝いとみなされがちだが、青年はれっきとした極め湯三代目店主で、名を伊与田《いよだ》極《きわめ》という。
 玄関のガラス戸が開き、反射的に極は「いらっしゃ……」と口を開き掛けたが、入ってきたのがエプロン姿の母親であったため、途中で言葉をあいまいに濁す。
「極《きわめ》、あとはあたしがやっとくから、そろそろお風呂入っちゃいなさいよ」
「……ああ、わかった」
 極はひとつうなずいてカウンターを出ると、隣の男湯ののれんをくぐり、ドアを開けて中へと入った。温かく湿った空気の向こうでくつろいでいた客は三人、まだ風呂にいる客は五、六人ほど。周辺に住む常連客がほとんどだ。彼らに会釈をして、ざっと室内と浴室の様子を見回す。
 二代目の父親からも、事あるごとに言われてきたが、銭湯にとって礼儀と清潔さはまさに生命線だ。八年前、平成二十三年に三代目を継いでから、極はそれを嫌というほど実感し、設備の新しさでは他の銭湯に劣る分、脱衣所も浴場も、隅々まで神経を使って磨き上げていた。
 極が店を継ぐ少し前、店のリフォームをした時にカーペットをビニールから籐タイルに張り替えたものの、開業から使用している体重計を筆頭に、網かご・扇風機・ベンチなどの「昭和の遺物」には、平成に至る今も――今日でその時代も終わるわけだが――現役で働いてもらっている。
 男湯と女湯を同時に見下ろせるほどの高さにある液晶テレビは、リフォームの際に買い換えた数少ない備品のひとつだ。
 あの「地デ●カ」によって、同年の七月に“駆逐”さえされなければ、今でもブラウン管テレビがそこに鎮座していたことはほぼ間違いない。
 そして、その四か月前。
 もし、東日本大震災が発生しなかったら、極はこの銭湯の三代目を継ぐこともなかっただろう。
 平成最後の日の今日、テレビは朝から長時間特別番組を編成し、いやが応にも「時代の終わり」を演出していた。いま画面に映っている局では、三年前に解散したはずの「あの」男性アイドル五人が笑顔で進行役を務めている。
(まさか、SM●Pを引っ張り出してくるとはなぁ)
 極は特別ファンではないが、それでも今日に合わせてふたたび彼ら全員が顔をそろえると知った時には、平成元年に生まれた人間として胸が熱くなるのを感じた。
(令和か……)
 ひと月前初めてその新元号を聞いた時には、いまいちピンとこなかったものだが、昭和生まれの客たちが言っていたように、これから徐々に時間をかけて慣れていくのだろう。
 平成から令和の変わり目に彼らの代表曲が歌われる。その頃までに掃除を終わらせて、平成にこの銭湯の三代目を継いだ自分の気持ちに区切りを付けておくのも悪くはない。
 極はトイレの脇の清掃用具入れからモップを取り出し、
「失礼しまーす」
 と、床の隅から掃除を始めた。
 そこへ、
「よう、キワメちゃん」
 聴き馴染みのある声に振り返ると、風呂から上がったばかりの、
 
 
 


 
 ここまでしか書きあがっていないので
 
 未完 


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    他言無用!(中篇)




(おまけ)
※修正前(および新元号発表前)のタイトルと本文
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